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世界の文学を猫に聞く

いたって、引篭もりがちな私である。

かと言って本格的な引篭もりを始めると「死」が頭を過ぎることがあり、世間で言う精神的な苦痛を伴うような引きこもりは、どうやら危ういと実感した。

ニートぐらいで止めておきたい。でないと気が狂うのだろう。
最近、狂気に触れるような行為に移行するときのような、そんな気持が理解できるようになり、いささか焦ってしまったが、どうやら自己防衛本能がちゃんと働いているらしく、パンを作ったり料理を作ったりしているのは、気を紛らしているわけではなく、何か自分の中で、ある方向性を探すような作業を自然としているのだとわかった。

さて、今日の朝のことだ。
私は以前、妻の実家に住み着いていたことがあった。世間でいう「マスオさん」である。
「マスオさん」は私にとって最高に楽で快適な状態と暮らしっぷりであったが、いろいろと事情があってその生活から離れることを余儀なくされた。
それから住居を2回ほど移動したことは、このブログに以前から訪れているコアな読者には既知の通りだ。

その妻の実家から連絡があった。「仕事はどうしたのか」という既に挨拶となってしまったような切り出しから始まり、猫の様子はどうなのか等と、とりあえずの伺いトークをいただいた。
挨拶がわりのトークが済んだ後、義母は「○○さんの本が書斎にたんまりあるが・・・」という明らかに引き取りに来いと言う連絡であった。


今日の朝は、パンを焼いた。イースト菌の素晴らしい力が過ぎたらしく、膨らみすぎてパンの天辺を焦がしてしまったが美味しくできた。

20100328パン2

旨いパンと、安い豆だが上手く入れることが出来た美味いコーヒーを飲んで気分が良かったので、明らかに面倒だと思える義母からの連絡も気分良く受け入れることが出来たのは我ながらラッキーであった。

20100328パン3


本を取りに来いという事は、受け入れるスペースの問題で、私の住んでいるマンションが非常に関係してくる。
さて、どうしようかとフカフカのパンを口に運びながら、あれこれ考えていた。
あれこれ考える理由としては、昔から一貫して「本は捨てない」という自分なりのこだわりを持っていたからだ。

しかし、私の蔵書量は相当に多い。
きっと、私と対した事がある方々は、皆、こいつは活字など読んだことが無いのではないかと思われる程、無学文盲のイメージが有るかも知れないが、ところがどっこい、私は活字中毒であり、読書量は人一倍なのだ。
読書量が人一倍なのは、正直に言ってしまうと、ただおバカさんで学校に行かなかった結果の身勝手な学歴コンプレックスと、貧乏を埋めるには読書だと子供の頃に刷り込まれた結果だ。

未だに効果は現れないが、そのような事情が保有する書籍を膨大にした。

妻の実家に行き、自分で詰めたはずの段ボール箱と詰め切れずに積まれた本の山を見て、予想以上に困り果てた。

これは、雑誌と同じように売ろう、捨てない等と言ってはいられない。そう、趣旨替えするほど困った私は、一度には運べないので、何度か分けて運ぶことにして妻の車に運び込んだ。

どうしても捨てられない本も勿論あるわけだが、大抵のものは自分の気持に決着を付けることができて、事業仕分けよろしく、保有仕分けを行った。

さて、過去と向き合う作業に似ているこの書籍仕分けをしていると、こんな本に再会した。

世界文学全集の全巻である。

誤解しないで欲しいが、世界文学全集を好きで読むタイプの人間では無い。
この本は、母が私たち子供に出来うる教育の手段の全てであった。それは、母が子供の頃に受けられなかった学問へのコンプレックスから来るものらしく、その結果、小学校低学年で、膨大な世界文学全集を与えられることになった。
お察しの通り、それを理解するには、耳かきの先ほどの脳みその私には困難であったが、学校嫌いになり始めた頃には読書が進み始めたのは皮肉であった。

懐かしい本があった。

ドストエフスキーの「罪と罰」と「カラマーゾフの兄弟」だ。
小学生が読むには、大変重い。物質的重量も重いし、内容はさらに重い。

「罪と罰」は、大変の頭の良い大学生が、自分の理念に従い、強欲な金貸しの老婆を殺害し金を奪い世の中にために使おうと考えたが、殺害現場に偶然居合わせた妹まで殺害してしまい、罪の意識に苛まれるが、出会った娼婦がこれまたかなりの過酷な状況で生きている女性で、その娼婦に感化された大学生が自主するという、物語だけを読むと重すぎる上にかったるいのだが、人間が再生をして行く過程を狂気というキーワードを使って書き上げた名作である。

「カラマーゾフの兄弟」は、父親殺しの嫌疑をかけられた子の裁判を、三兄弟間とその兄弟周辺の人間関係を含め、いろいろな問題をぐちゃぐちゃにしながら、兄弟間の内面に向かうストーリーだ。
宗教やら貧困やら、本当にいろいろなテーマが捏ね捏ねしてあったと思う。
よく、小学生の私が読んだものだ。

勿論、上記の二冊や他の文学全集の本に関しても、後ほど読み直して理解を深めたのは当然である。
読み直して、何を言いたかったのかわからなものもあった。
ショークスピアの「夏の夜の夢」などは戯曲であり、小学生の私が戯曲を理解出来るわけはなかった。
なんだろう、この文章はスケジュール表と話し言葉が一緒になっているが、なんという種類の読み物なのかと不思議に思い、学校の先生に尋ねたことがあったが、「あなたが読むような本ではない」と一蹴された。
今思うと、まさか教師が戯曲を知らないわけが無いと思うが、お馬鹿な私に理解をさせるには骨が折れると思ったのだろうか。
過去に戻り、屋上から突き落としてやりたいが、今も昔も、私は貧弱で内気で根性なしだ。妄想で我慢する。

子供ながらに、思ったのは世界文学全集の中では、かなりの殺人が行われ、それは名作となっている。
誰かが殺されることで、高邁な意志やメッセージを発信する手法を世界は認めたのだ。
そりゃ、戦争が起きても不思議ではないと、明らかに低劣脳の小学生の私が思ったのは無理からぬ事だった。

このクラスの世界の巨匠は、どのくらい巨匠かというと、グランドキャニオンとか万里の長城とか富士山くらい巨匠だ。自分でも全く分からないが、きっとそれぐらいだ。

それぐらいの作家繋がりだと、ヘミングウェイというこれまた大巨匠がいる。
有名なのは「老人と海」だ。その他にも「誰がために鐘は鳴る」や「武器よさらば」という大作がある。
老人が小さな小舟でカジキマグロを死に物狂いで格闘して釣り上げるが、帰港する途中で折角釣ったカジキをサメに食われてしまうと言う厭世観ただよう作品だ。
この「老人と海」でノーベル賞を受賞しているが、個人的には「誰がために鐘は鳴る」の方がノーベルっぽい気がするが、選考委員ではないのでどうでも良い。

そのヘミングウェイは、猫好きで有名だ。
私の好きな浅田次郎氏や向田邦子氏、静岡市清水区に密接な関係のある村松友視氏や、特に好きでもないが村上春樹氏、遠く彼方の巨匠の内田百間氏なども猫好きで有名だ。

もしかして、猫の手を借りて大作を書き上げていないだろうか。
そういえば、私のブログなんぞは猫のブログだ。ネタが猫なのだから力を借りるどころではない。

また、今日も振り返る作業をせずに一気にタイピングしてしまった。
誤字脱字はご容赦頂きたい。





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