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金木犀の記憶を運ぶご近所さん

外の空気が気持ちいと思ったら、金木犀が綺麗に咲いていた。



秋はこの香りが漂ってくるのが楽しみ。



と同じく意外とこの時期に、外出するお使い猫さんが多い。と感じる。
猫さん達も秋を楽しむのだろうか?



子供の頃からこの香りが好きで、決められた通学路とは遥かに外れた独自の金木犀ロードを、秋には楽しんだものだった。

小学校低学年まで、よく一緒に学校に通っていたオオ○ミ君の借家には、小学生の私から見上げると、それはそれは大きな金木犀の気が玄関横の小さな庭に生えていた。

必ずいつも、金木犀の木の下で大きな深呼吸をした。
私の住んでいる長屋にも、この金木犀があったらと思ったが、どう見ても三軒長屋だった私の家では、小さな鉢植えを並べるくらいが精一杯だった。

ある日、いつものように玄関でオオ○ ミ君を呼ぶと目を真っ赤に腫らして出てきたのだ。

泣いていた。と私は思った。

私はなぜか、深く聞こうともせず、何も触れないで一緒に学校に行ったのだ。

そして、次の月曜日にはいくら呼んでも出て来ない真っ暗な借家になっていた。

両親が離婚をして、母方の実家へと引っ越したのだった。

彼の父親は一度も見かけたことがなかった。
母親は私の母と同じように気丈な感じのいつも忙しそうにパートと子育てに忙しそうな方だったように思う。

今思うと意外というか、ビックリしたのだが、学校の先生から「離婚したから転校した」と聞かされたのだ。
小学校低学年の私には、「離婚」のこの単語の意味がわからなかった。

母親に聞いたら、あら大変といった感じで考えていたが、両親が別れることだとやんわりだが、意味ははっきりと感じ取れショックだったことを記憶している。

確か、その先生の生徒への通達の仕方の件で、学校に父兄から苦情の電話や、乗り込んで行ったという話も聞いた憶えががある。



思い出す記憶は沢山あるけれど、金木犀は大好きだけど、どこか切ないのだ。

長くて、だけれども短い人生の中で、離婚という事実は、そんなに大きなものにはならないのかもしれないが、子供の頃に起きた事としたら、それはちょっとした事件だった。当事者にしても、その事件に沿うように生きていた傍観者である私にとっても。

ただ、離婚という形をとっていないだけの、父の顔をよく思い出せない私からしたら、母はなぜ離婚をしないのだろうと、中学生ごろまで理由がわからなかった。

のちのち大人の事情を知るのだが、別れとはいろんな形があるものなのだと、歳を重ねないとわからないことがあるのだと実感するのだ。

ね、結ちゃん。
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